Tokyo Expl Vol.01 増上寺
息子の件で、今日は午後3時半から中学校でカウンセリングがありました。
会社は午後休みを取ったのですが、川越に戻るまで少し時間があったので、会社の比較的すぐ近くにある増上寺へ行ってきました。
訪れるのは二回目ですが、一回目は門をくぐりちょこっとだけ居ただけだったので、今回は比較的ゆっくり見学ができそうです。
川越と東京は縁があり、今昔、川越は小江戸と呼ばれております。
まだ江戸が未開の地であったとき、太田道灌が江戸城を築城し、河越城も築城しています。
新河岸川の舟運によって、川越から江戸へ人・物・金が運ばれたのが江戸時代から明治時代。
なので、東京の寺社仏閣を見学すると、どことなく川越も彷彿するのは、やはり兄弟のような関係だからなのでしょうか。
資料を貰ったところ、現在と比較し相当広い寺領があったようです。
本堂の右脇から、地蔵が沢山並んでいる小道を通ると、徳川の霊廟があります。
すべての将軍ではなく、一部の将軍とその正室・側室の墓所となります。
この日は、平日の昼過ぎであったので、人もおらず、わたし一人が霊廟を独占状態となりました。
墓所には、二代将軍の秀忠とその正室で浅井長政の三姉妹、末妹である江の墓がありました。
父、家康が亡くなり神になり日光東照宮に祀られているのと比較し、息子秀忠は人として仏になる道を選んだのでしょう。
江は、浅井長政の娘として生まれ、それこそ波乱な人生を歩んできた女性。
長姉は、豊臣秀吉の側室となり淀と呼ばれ、次姉は京極に嫁ぎ、江は秀忠に嫁ぐことになったのですが、大阪の陣のとき、姉妹は敵同士となってしまいます。
姉妹で敵同士になり、豊臣と徳川を取り持つために次姉の初が両者を仲介したりしましたが、結局豊臣は徳川に滅ぼされてしまうという悲しい結末。
増上寺の霊廟には、およそ30分ほど一人で佇んでいたかもしれません。
大河ドラマの葵やお江で、彼女たちの歩みを知ることができますが、それはもう激動の人生であったことでしょう。