Kawagoe Expl Vol.06 ~川越夜戦~
川越の名所と言えば、本丸御殿や喜多院、氷川神社が挙げられますが、実は川越夜戦も隠れた名所・・・というか、歴史的な出来事です。
日本には、三大奇襲というのがあります。
なんでも「三大」や「五大」などと付けたがるこの国の文化ですが。。。
【三大奇襲】
言わずと知れた、織田信長4,000の兵と今川義元25,000の兵との戦いで、織田の奇襲により今川が討死した戦です。
毛利元就4,000の兵と陶晴賢20,000の兵との戦いで、圧倒的不利な毛利元就が陶晴賢に勝った戦いです。
■川越夜戦
北条氏康8,000の兵と扇谷上杉+山内上杉+古賀公方の連合軍80,000の兵との戦です。
今回は、この川越夜戦の舞台となったところを訪れてみました。
川越に住みながらも河越夜戦については、あまり知ることが無く、モヤッとした知識でした。
松本清張の小説「黒い空」では、序章から、この川越夜戦の舞台である東明寺から物語がはじまり、この夜戦で連合軍を組んでいた扇谷上杉と山内上杉の怨念が、物語の核となっています。
もともと関東は上杉管領(将軍の補佐役。当時は足利将軍)が収めてましたが、北条氏康が河越城を獲得し、それに対して扇谷上杉ら80,000の連合軍が攻め入り、北条側は籠城。
駆けつけた北条氏康の半年にわたる策により、80,000の連合軍が負けることになります。
扇谷上杉は討死し、滅亡。
山内上杉は越後の長尾家に逃げ、後に上杉謙信になる長尾景虎に、家督と管領職を譲ります。
古賀公方(足利将軍)は、散々の目にあい古河へ退却。
河越夜戦では、18,000名が戦士したと言われています。
その舞台となったのが、東明寺というお寺付近です。
現在の東明寺は、河越の観光地外れにひっそりと佇んでおり、休日に訪れても観光客はほとんど来ません。
川越の喜多町に東明寺はあり、喜多町自体が昔は東明寺の寺領であったようです。
また、門前町として栄えていたと言われています。
川越は、江戸時代より喜多院が徳川にかなり保護されていたのに対し、東明寺は往年の面影はないようです。
そこには、河越夜戦の石碑が立っておりました。
本当に静かなお寺で、雀の囀りだけが境内に聴こえるだけの、シンと静まり返ったお寺です。
石碑の裏には、河越夜戦の出来事が克明に書かれております。
蔵造が有名な川越ではありますが、実はこういった隠れた血生臭い歴史の跡も、街を包み彩る美しさであるのかもしれません。
Tokyo Expl Vol.01 増上寺
息子の件で、今日は午後3時半から中学校でカウンセリングがありました。
会社は午後休みを取ったのですが、川越に戻るまで少し時間があったので、会社の比較的すぐ近くにある増上寺へ行ってきました。
訪れるのは二回目ですが、一回目は門をくぐりちょこっとだけ居ただけだったので、今回は比較的ゆっくり見学ができそうです。
川越と東京は縁があり、今昔、川越は小江戸と呼ばれております。
まだ江戸が未開の地であったとき、太田道灌が江戸城を築城し、河越城も築城しています。
新河岸川の舟運によって、川越から江戸へ人・物・金が運ばれたのが江戸時代から明治時代。
なので、東京の寺社仏閣を見学すると、どことなく川越も彷彿するのは、やはり兄弟のような関係だからなのでしょうか。
資料を貰ったところ、現在と比較し相当広い寺領があったようです。
本堂の右脇から、地蔵が沢山並んでいる小道を通ると、徳川の霊廟があります。
すべての将軍ではなく、一部の将軍とその正室・側室の墓所となります。
この日は、平日の昼過ぎであったので、人もおらず、わたし一人が霊廟を独占状態となりました。
墓所には、二代将軍の秀忠とその正室で浅井長政の三姉妹、末妹である江の墓がありました。
父、家康が亡くなり神になり日光東照宮に祀られているのと比較し、息子秀忠は人として仏になる道を選んだのでしょう。
江は、浅井長政の娘として生まれ、それこそ波乱な人生を歩んできた女性。
長姉は、豊臣秀吉の側室となり淀と呼ばれ、次姉は京極に嫁ぎ、江は秀忠に嫁ぐことになったのですが、大阪の陣のとき、姉妹は敵同士となってしまいます。
姉妹で敵同士になり、豊臣と徳川を取り持つために次姉の初が両者を仲介したりしましたが、結局豊臣は徳川に滅ぼされてしまうという悲しい結末。
増上寺の霊廟には、およそ30分ほど一人で佇んでいたかもしれません。
大河ドラマの葵やお江で、彼女たちの歩みを知ることができますが、それはもう激動の人生であったことでしょう。
Kawagoe Expl Vol.05 晩秋の夕暮2021
川越郊外の河川敷から眺められる光景は、誰しもが足を止めます。
本当は、子供達を連れてきたかったけれど、勉強で忙しいという理由で断られるのが推察できたため、敢えて声を掛けませんでした。
昨年、2020年に見つけたこの場所。
山々に沈む洛陽の淡い光を受けてうっすらと金色に輝くススキが、溜め息がでるほどの美しさを見せてくれます。
中学二年生の子供達には、あまり感動を覚えないかもしれません。
私なりに感受性を強くなるよう育ててきたつもりだったけれど、なかなか思い通りにいかないのが、子育てというものなのでしょう。
Ride Vol.03-3 ~ Konsei Pass(金精峠):3日目 ~
【旅程】
・ルート
宇都宮→日光→中禅寺湖→金精峠→沼田→高崎
・予算
1万円以内(全旅費)
・人数
1人
3日目・・・・
沼田で朝を迎えました。
思ったほど、躰は疲れてません。
今日で旅も最終日。
終わりの日。
気軽に身近で安くできるサラリーマンに優しい旅。
3年前に折り畳み式のチャリを買おうと思い、後輩のチャリ屋へ相談しにいったら、なぜか買ってしまったクロスバイク。
3年間、ほとんど使わずに実家の玄関に置きっぱなしでした。
初期の費用はそこそこかかりましたが(けれども10万はしていません)、維持費は恐ろしく安くつきます。
車検もない、ガソリンは人力、パーツも車と比較して安価。
しかも、健康的。
パーツにこだわれば金は掛かるけれど、所詮ヘタレな街乗りチャリダーなので、そんなにこだわりはありません。
風と光と香を感じれる旅の手段としては、最高なのかもしれません。
この日の沼田の朝、駅へ着くころには雨が降ってきました。
自転車を畳んで沼田から電車で帰ってしまうのも、考えました。
とりあえず、焦っても仕方がないので駅前にある商店でお茶でも飲みながら雨があがるのを待つことにしました。
昨夜、ここの商店で店番をしているおばあちゃんと話をしていて、沼田の駅前の歴史について教えてもらったりしていたのです。
天狗さんが、無言で遠くを見つめています。
このお店は、店内で買ったものを食べれるスペースがあり、コンビニのような無機的な椅子と机が置いてあるのではなく、あったかい麦茶も置いてあり、シートには座布団もあります。
対面に座っていた若い女性二人が、これから山登りに行くのでしょう。
「これから山登り?」
「はい、尾瀬へ行くんです」
「尾瀬、いいですよね。かなり昔行ったなあ。。。」
うち、一人の女性は初めての登山だったようです。
彼女たちは、尾瀬行きのバスを待っているようでした。
彼女たちが尾瀬へ発ったあと、私はしばらく店内で休んでおりましたが、雨も止んだようなので、予定通り高崎方面へ向かうことにしました。
とはいえ、いつ雨が再び降りだすかわかりません。
沼田からは国道17号を上って行けば渋川を通り、その先は国道や県道を使えば川越に着いてしまいます。
沼田から渋川の間は下の坂道ですし利根川沿い。
すべてルートは頭に入ってます。
「せっかく利根川を下るのだから、R17ではなく利根川の左岸を走ってみるかな」
そう思い、いざそのルートを走ってみたのですが、あまりに坂道が多いのですぐR17へ戻りました(^^;
とはいえ、R17は歩道スペースがほぼ無いに等しい部分も多々あり、かなり怖いです。
車もバンバンとばしているし、通行量も多いし、なによりも大型のトラックがバンバカ走ってるので、あまり走りたくはありません。
「どうしようかなぁ。。。。」
再度R17号を外れてみたものの、雰囲気は良いのだけれど坂がねぇ。。。
「雨も降るかもしれないしなぁ。。。」
走りながら悩み続ける苦悩。
「そうか、電車乗っちゃって帰ればいいんだ!」
発想の逆転です。
ということで、私はここから最も近い最寄りの駅である敷島駅へ向かい、そこから電車で帰ることにしました。
無人駅です。
ホームはガランとしています。
突然終わりを告げた私のチャリダー旅。
ゴールは敷島駅でした。
二泊三日のチャリダーの旅。
ただ、敷島⇔高崎の間は、チャリダーをしていません。
なので、いずれこの区間を走る必要性はありそうです。
それは、来年の春で良いかなあ。
さて、今回かかった経費ですが、下記の通りとなりました。
【総コスト】
■乗車賃
川越市→宇都宮
¥1,840(乗車賃)
¥ 800(二等車)
敷島→川越市
¥1,820(乗車賃)
合計 ¥4,460
■宿泊費
中禅寺湖:ホテルシンプレスト ¥2,900
沼田 :沼田健康ランド ¥3,300
合計 ¥6,200
■雑費
¥4,000(about)
総計:¥14,660
あっ!!!!
予算を5,000円弱オーバーしてる!!
やはり、日本では二泊を予算1万円以下で過ごすのは無理だったか!!
キャンプしたり野宿したりすれば可能なのだろうけれど、さすがに40代の躰に堪えるしなあ。。。
まあ、Okayとしましょう。
見知らぬ人達との会話、風に揺れる樹々の騒めき、鹿の泣き声、そして滝のせせらぎ。
少なくとも、川越市⇔品川では体感できない
風・光・香
を全身に受けて自力で旅してきました。
※いろは坂を除く
あれほどいろは坂や金精峠の山道を、「二度と登ってやるか!!」と思っていたのに、過ぎ去ってしまうと、再び登りたくなってしまうのが不思議です。
これは、登山にも共通しているのかもしれません。
10月、再び日光へ行こうかと思います。
次回は、日光までは電車で行ってしまいます。
宇都宮→日光は、すでに走破しましたからね(^^)
予算は、、、8千円くらいにしておきましょうか。
タバコをやめれば、16日で捻出できそうです。
【今回のルート】
Ride Vol.03-2 ~ Konsei Pass(金精峠):2日目 ~
【旅程】
・ルート
宇都宮→日光→中禅寺湖→金精峠→沼田→高崎
・予算
1万円以内(全旅費)
・人数
1人
2日目・・・・
日光で目覚めるのは、小学校の修学旅行以来。
あのときは昭和。
今は令和。
平成をすっ飛ばしてしまいました。
昨夜、躰がピリピリするほどの温泉に入ったせいか、道中の疲れが取れた気がします。
そして今日は金精峠越え。
まさか、あの道を自転車で走ることになるとは。。。。
昨夜は真っ暗闇だった中禅寺湖も、朝出発するときは晴天に恵まれ見晴らしも素敵☆
ホテルのエントランスも高級感があって、ちょっとビックリしました。
これで1泊2,900円弱なのだから、安いものです。
(ドミですけれど)
ここから金精峠へ向けて走り始めます。
湖畔を颯爽と走り抜け、適度なアップダウンも苦になりません。
「これならイケる!」
私は単純にそう思い込み、これから味わう地獄のクライムヒルは想像だにもしておりませんでした。
湖畔を過ぎたあたりから徐々に坂道となってゆき、竜頭の滝近辺で、、、、
すでに私のチャリは手押し車となりトホダーとなっておりました(-_-;)
「ったく、もう疲れたわ、引き返して帰るかな。。。。それとも、バスに乗ってバスダーにしちまうか。バスで行けるところまで行っちまうのも手だろ。誰にも言わなきゃチャリで走破したとふかしこいてもわかりゃしないし。。。」
チャリを手押しながら頭の中で葛藤する自分。
息はゼイゼイ、脚はキュンキュン。
「いや、俺は負けん。走ろうが歩こうが、峠は越えてやる」
そう思いながら、チャリに乗っては走り、走り疲れては徒歩を、繰り返し繰り返し。。。
途中に現れたバス停を見ると、あと数分で湯元行きのバスが到着する予定でした。
チャリを分解している時間はありません。
※分解して輪行しないとバスに乗れない。まあ、誰も乗っていないだろうから、運転手に掛け合えば大丈夫かもしれませんが。。。という浅はかな考え。
そうこうしているうちに、男体山が見えてきました。
青天のせいか、良い見晴らしです。
山に見守られているという想いが、私のモチベーションを高めてくれます。
「登山に比べれば、道も舗装されて坂も緩やかだし、楽なもんでしょ」
考え方をポジティブに。
ようやく戦場ヶ原につきました。
猿麻呂と大ムカデがタイマンはった戦場ヶ原。
「猿麻呂と大ムカデのタイマン、いったいどんな光景だったのだろう?」
遥か古代の日本に想いを馳せながら、私は空色のビアンキで走り続けます。
※ここは平坦な道なのでチャリダーできます。
東京から、たかだか100キロ程度の場所に、このような草原があるのが信じられません。
今日は平日のせいか、観光客もおらず車も少なく、唯一聞こえるのは静かな風の音だけ。
「おお、サラリーマンを忘れているぜ!」
そう想っては、サラリーマンという単語が頭に想い浮かんでいる時点でサラリーマンを思い出しているという矛盾。
なぜか戦場ヶ原で井上大輔の「めぐりあい」の旋律と歌詞が脳裏に流れます。
Yes my sweet, Yes my sweetest
I wanna get back where you were
今自分が置かれている環境とまったく異なる歌詞。
私が今抜けようとしているのは、戦場ヶ原であってア・バオア・クーではない。
でも、旋律が不思議と戦場ヶ原とマッチし、私は猿麻呂になって大ムカデをやっつけた気分になりきり、気分が高揚してきます。
戦場ヶ原を抜けると、再び登り坂。
戦場ヶ原のバス停でチャリを分解し、袋に詰めちまうか・・・
誘惑に駆られましたが、「めぐりあい」の曲に助けられました。
大ムカデをやっつけた私が、チャリで疲れたからといってバスに乗るなどみっともない。
ただ、目の前には延々と続く坂が現れ、登りきった先は右折左折しており視界には入らず、下り坂なのではないかという錯覚に囚われては、坂を上り切る直前に視界に入る坂の先が、延々と続く登り坂であるということに心が折れそうになります。
結局、クライムヒルとは、人間の儚い願望が打ち砕かれるという想いの連続なのですね。
そして、どうにか湯ノ湖の手前にある湯滝に到着。
ここで休みましたよ。
デジカメは荷物になるので持ってこなかったのですが、シャッタースピードを遅くしたら素敵な写真が撮れたかもしれません。
休んでいると、三世代からなる家族連れの方々が湯滝をゆっくり柵から覗いていました。
湯滝よりも、その方々の柔らかい雰囲気に心が癒されたかもしれません。
ここでマグオンの粉を口にぶち込み、水で一気に流し込みます。
バスも、この先にある湯元までしか走ってません。
今回、ボトルを二本持ってきていたのですが、一本目が空になってしまい、湯元で補給も考えたのですが、湯元と金精峠では道が分岐してしまうので、いったん湯元まで行ってしまうと分岐地点まで戻ってくるのに坂を上らなければならず、私はこのまま金精峠へと進むことにしました。
「バスも湯元までしか走ってないし、もうこの先は自力で行くしかないぜ」
私は、金精峠方面の道を、ただひたすらに走り…ではなく、歩きます。
空色のチャリも、理解してくれるでしょう。
写真では緩やかに見える坂も、実態はかなりの上り坂。
法定速度が40キロとなっているけれど、私の速度は時速3キロ程度。
せめてもの救いは、とてつもなく有酸素運動をしていると実感していることです。
息が「ハァハァ」していたけれど、自分の部屋でハァハァしていたら不信がられますが、外でチャリを押しながら坂を上っている最中にハァハァしているのであれば、私を見かけた人も
「キツいんだろうなぁ、あのオッサン」
と思ってくれるに違いありません。
ここからば、相当な斜度の峠道。
たった5キロの道のりで、標高が1490Mから1850Mと、約400Mも登らなければならないのです。
いろは坂ほどのヘアピンカーブはないものの、視界の遠くには、これから私が登ろうとする道が高いところに見えてきます。
峠道に差し掛かると、後ろを振り返れば先ほど通ってきた戦場ヶ原と湯ノ湖、そして男体山が一望できる絶景が見渡せました。
たまに車が通ったりしましたが、聞こえてくるのは風と樹々の騒めきのみ。
視線を前に向ければ、まだまだ登らなければならない峠道が天空まで続いていそうな錯覚になります。
突然、道のがけ下からザザザザザッという音が聞こえ、その方向を見てみると、何やら速く動く物体が見えました。
「熊か、、、かかってこいよ、こっちはついさっき猿麻呂になり切ってムカデ退治したばかりだからなあ、想像の中でだがよ!!!」
気力が闘争心になり、その実心はビクビクしていると、なんと物体の正体は鹿でした。
崖下の森の中を優雅にリズムをつけながら走る鹿の姿に、
「その力、少し分けてくれないでしょうか、お願いしますよ鹿さん」
とヘタれる自分が情けなかった。。。
帰宅して調べてみたのですが、この辺りはツキノワグマが出没するらしく、行政のHPで出没地域と日時が開示されているので、事前に調べてみるのが良いかもしれません。
優雅に森の中を舞う鹿に勇気づけられた私は、その後少しだけ休憩し、残り少ない水をチビチビ飲みながら、長い長い峠道をとうとう登り切り、金精トンネルへとたどり着きました。
ちょうど工事中のようでした。
交通整理している方に、
「日光へ戻るんだよね?」
と聞かれ、ちょっと驚き。
「まさか、、、群馬に抜けますよ。いいですよね?」
そう問い返すと、問題なく通行できるようでした。
トンネルの左側に駐車場があったので、ちょっとそこで一休み。
そしたら、、、ちょっとあり得ない標識がありました。
「ここ、バス通ってんの?!」
なんと、ここにもバスが通っているらしいのです。
どうりで、峠道を登っているときに路線バスらしきものを見かけたはずでした。
「勘弁してくれよ、てっぺんまで来ちまったから、もう下るだけじゃねえか。。。」
次回は、絶対にここまでバスで来て、下りだけを走ると心に決めた次第でした。
そして、いざトンネルへ。
と思いきや、車が数台列をなしてました。
交通規制で片側通行になっているようです。
私は、最後の車が目の前を走り抜けた後、チャリを走り出させます。
トンネルに入ると、ひんやりとして気持ち良い。
さきほどまでのクソ暑い気温と体中の汗が、いっきに乾いてゆきます。
再び、ふと思ってしまいました。
「片側通行ということは、、、、きっと俺がトンネルを抜けるまで群馬側で列をなしているだろう車は、トンネルに入れないんじゃないだろうか…」
これはヤバい。
トンネルから、のこのこと私がチャリで出てくるのをドライバーが見たら、相当頭にくるに違いない。
彼らに、私が今朝から体感してきた苦しみと挫折の誘惑などに同情などしてくれません。
「おっせぇんだよ!!」
そう思われるに違いない。私がドライバーであれば、絶対にそう思いますから(笑)
私は全長およそ600Mほどのトンネルを、疲れた躰に鞭を打って走ります。
けれども、ふと思ったわけです。
「別にいいじゃない、短気は損気。長い人生、今回の私の我が儘を許してくれまいか…」
そう想うと、ペダルを漕ぐ力も緩やかになり、トンネル内の涼しい空気を心行くままに堪能してしまいました。
チャリを道の端から端へクネクネと走らせ動画を撮ったりしてしまいました(^^;
案の定、トンネルを抜けると車が数台列を作って私が出てくるのを待ってくれていました。
心の中で「すまん、こんな私を許してくれ・・・。君たちに罪は無いし、私にも罪はない。。。」と呟きつつ、とうとう峠を越え、そしてトンネルを抜け、群馬県側に出ることができました。
地図上で移動していたことが、実態として現実として峠道を越えることができた嬉しさ。
そして、ここから一気に下り坂です。
つい「イヤッホォ~!」と、まるでアムロがマチルダさんとの写真を貰って喜んでいるときのような声を、心の中ではなく実際に叫んでいる錯覚になってしまいました。
誰に頼まれたわけでもない、誰に命令されたわけでもない、、ただ自分で決めた道筋をたどってきただけという至極単純な現実に、我を忘れて喜ぶ自分。
下り坂はかなりスピードが出ており、50キロくらい出ていたようです。
ブレーキをかけながらヘアピンカーブを下ってゆきます。
視界の後ろへ流れゆく森の木立と、時折躰を柔らかく差す木漏れ陽が、今までの疲れを全て忘れさせてくれます。
頭の中では、なぜかシューベルトのアヴェ・マリアの旋律が響き渡り、偶然ここはロマンティック街道であることを思い出しました。
ロマンティック街道というからには、フュッセンやシュヴァンガウなどに似た街並みが出てくるのではないかというあり得ない想いを心に抱きながら、現実には焼きもろこしの看板を眺めつつ坂を下ってゆきます。
美味そうなトウモロコシを買って食べたかったのですが、値段が書いてない。
「1本500円とか言われたら、断るに断れないよなぁ。。。」
予算1万円のケチな旅故に、私は食べないという決断をしていました。
稀にロードバイクを一生懸命漕いで坂を上っているサイクリストとすれ違います。
「頑張れ、あともう一息で君達には下り坂が待っている」
と思いがちだけれども、実際は私が想ったことは異なりました。
「へっ、いいだろぉ~下り坂は最高だぜ!!」
という、大変幼稚性溢れる子供じみた想いで彼らを見送り、緩やかにときには激しいほどのカーブを下りってゆきます。
左手に見えた休憩所。
駐車場へスキーで滑りおりロッジ前に止まるような感覚で私は滑り込みます。
「空が、、空が近い。。。こんなにも空が近いとは。。。」
珈琲でも飲んで一服しようと私は建物の近くへ立ち寄ります。
アイスコーヒーが500円。
「う~ん、アイスコーヒーが500円か。。しょうがない、自販機のボスにしよう」
380円をケチり、私は缶コーヒー無糖を選択。
珈琲を飲みながらボーっとしていうと、美味そうなソフトクリームが売っているじゃないですか。
ボディメイクしている私にとっては食べてはいけないもの。
「今日くらいいいでしょ!」
400円弱したけれど、ここで食べたソフトクリームは、美味かった。。。
甘すぎないのですよ。
悩ましいほど雪白で蕩けそうなほど滑らかなソフトクリーム。
それとは裏腹に甘すぎず、控えめで、手に持ったソフトクリームを少し高く掲げて澄み切った蒼い空に重ねます。
控えめな甘さ。
どこかの誰かさんの奥さんに伝えたいほどです。
食べ終えてトイレを済ませると、私は天空に広がる空色と同系色のチャリへ再び乗り、坂道を下ってゆきます。
その先は、ノイシュヴァンシュタイン城ではなく日帰り温泉の建物が散見されました。
静かなせせらぎの沢、、、これがドイツであればドナウの流れなのかもしれません。
この「川」という名称がつかない川は、どうやら先ほど通ってきた菅沼や丸沼から流れ出る川らしい。
しばらく先に進むと、道路の崖に山ぶどうが実ってました。
たまたま追い越し用のスペースで一服していると、停めてあった車のじっちゃんが話しかけてくれて、雑談。
見知らぬ方との雑談が、最高の幸せです。
15分くらいしていたでしょうか。
いろは坂前の小さな公園で老夫婦との雑談。
そして今会話している方との雑談。
本当に嬉しいものです。
お互い笑顔で交わす言葉の数々に、そのときまで凝縮されたお互いの人生の道のりが、表れているような気がしました。
「俺も昔現役のときは、よく川越に仕事で行ったっけなぁ。。。あんな遠いところからチャリンコできたとは、若いっていいねぇ」
いやいやいや、もう若くないっす。
50をそろそろ目前とした年齢っすから、自分は(^^;
このじっちゃんに、ここでは書けない秘密のノウハウを教えてもらい、私はチャリで坂を下ります。
片品を通ると、幼少の頃から行き慣れたスキー場の看板が見えました。
ここは、スノボをする人がいないので、最高のスキー場なのですよ。
ここ片品のスキー場と奧滋賀のスキー場だけが、スキーオンリーだった気がします。
さて、片品高原を抜けると老神温泉を通るのですが、ここで上り坂が現れます。
「また坂かよ、、、、、勘弁してよ。。。。」
もう、このときは坂が現れると胸張って潔くチャリから降りて手押し車で坂を登る癖がついていました。
そんな坂も、再び下り坂となり、予定より相当早く沼田に着いてしまいました。
沼田の駅前で、今日泊まる予定の宿へ電話を入れます。
予約はしていなかったので。。。
天空の城下町というのぼりが至る所に掲げてありました。
そういえば、沼田は真田ゆかりの地でもあったのですね。
記憶では信州の方だったと思ったのですが、、沼田もそうだったのですね。
ここで宿の手配をし、今晩泊まる場所は沼田健康ランド。
もちろん、カプセルルームです。
@3,300円
宿代だけで、昨夜のホテルと合わせて、二泊で合計6,000円弱。
我ながら、約30年前にしていたバックパッカーの記憶が蘇ります。
その経験が、突然私に舞い戻ります。
まあ、宿を予約するだけのことだけれども。。。。
二日目の旅程は、およそ70キロという長くはない距離でしたが、前半の坂道と後半の長い長い下り坂。
夕陽に染まる上州の山中にある街で、私は今夜過ごすことになります。
いったん宿でお風呂に入り、昨日と今日着ていたサイクルジャージと下着を洗濯しようとコインランドリーに入ったのですが、洗濯代が1回800円と高額(^^;
「え、選択って洗濯機回すだけなら200円位(諸外国では相場がそれくらいだたtので)じゃないんすか????」
散々悩んだ挙句、どうせ明日は帰宅して家で洗濯できるし、明日着るパンツもシャツもあることなので、諦めました(苦笑)
浮いたお金で、見つけたファミレスですき焼き定食を奮発し、じっくり食べましたよ。
すき焼き定食にするか、プラス300円出してシャブシャブ食べ放題にするか10分悩みましたけれど、もう30代半ばの頃から、食べ放題はもとはとれないし、かといって元を取ろうとして食べ過ぎて苦しくなるのでやめておこうという経験が蘇り、私はすきやき定食を平らげ、カプセルホテルで就寝に至ります。
二日目も、良い想い出ができました。
Ride Vol.03-1 ~ Konsei Pass(金精峠):1日目 ~
【旅程】
・ルート
宇都宮→日光→中禅寺湖→金精峠→沼田→高崎
・予算
1万円以内(全旅費)
・人数
1人
高崎と宇都宮は平坦な道でした。
また、双方の都市までは田畑や河川という身近な光景でしたが、次回は自然を体感したいという想いが強く、少し遠出をしてみようと計画してみました。
遠出といっても、予算は1万円。
1万円内で、交通費・宿泊費・食費を賄わなければならないという目標を自分に掲げ、色々とルートを作成してみたのですが、意外とあるものです。
ふと地図を見ると、高崎と宇都宮を結ぶ道を考えてみました。
そしたら、金精峠があるじゃないですか。
なぜ金精峠なのか?という理由は、高崎⇔宇都宮を結ぶ道であり(厳密には片品⇔日光)、小中学校の頃より片品のスキー場には何度か行ったことがあり、片品の先には冬季には閉鎖されてしまう道があって日光へ行けると知っていたからという、至極単純な理由です。
今回のコース、峠を越える道なので、少し余裕を持たせた日程をスケジューリングしました。
宇都宮まではすでに走破しているので電車で行き、そこからチャリを組み立てて日光・中禅寺湖・金精峠・沼田・高崎へのルートです。
宇都宮から金精峠までの73キロはほぼ坂道。
金精峠にある金精トンネルの標高は1840Mです。
この道は、冬は通行止めになってしまう豪雪地帯。
9月だからこそ、行けるというわけです。
23日の朝、毎度定例の朝寝坊により、少し遅れて自宅を出発。
普段は通勤で利用する東上線。
今日は祝日であるのにも関わらず、乗客がいました。
ここから一駅先の川越駅で埼京線に乗り換えて、大宮から宇都宮へ向かいます。
大宮駅ではタイミングが悪く宇都宮行の電車で20分近くも待たされ、その間、目の前には日光行の特急スペーシアが停車しており、
「これに乗ったら日光まで一直線なのになあ。。。」
と羨まし気にスペーシアを見つめながら、私は鈍行列車を待ちます。
ようやく電車が到着しグリーン車へ乗り込みます。
グリーン車へ乗るのも、贅沢で乗るのではなく自転車を置きやすいからという理由だけ。
普通席だと周りに迷惑かけるので気になるじゃないですか。。。
そういえば、往路で輪行するのは今回が初めて。
1時間経過し、ようやく宇都宮へ到着しました。
すでに9時半を回ってます。
出発するには遅い時間帯かもしれません。
宇都宮駅から爽々とペダルをこぎ、徐々に坂道となってゆくのですが、当初は
「クライムヒルなんて大したことないな」
などとタカをくくってました(苦笑)
栗谷沢ダムを通ったところで、早くも休憩。
へたるのが速い。
パラソルの下でのんびり釣りをされている方々が、羨ましかった。。
カラっとした天気で心地良く、ここで昼寝をしたら気持ちいいだろうな。
今市を通り、R119をすっ飛ばしてゆくのですが、上り坂は結構キツイ。
何しろ私は街乗りチャリダーなので、足腰が弱い(苦笑)
日光の杉並木に囲まれた道を走ったりR119を走ったりと交互に坂を上ってゆく。。。
今夜は中禅寺湖に泊まるので、あと26キロ。
しかし、この26キロが平坦な道ではなく上りの坂であるということが、私を完全に狂わせてきます。
杉並の街道は、心地良いっすね~。
ったく、川越街道も川越から富士見のあたりまでは松の並木道が残っているのだから、車道を廃止してバイパスに全て流してしまい、こういった並木道にすればよいものを。。。
まあ、何とか日光駅に到着しましたよ。
と思ったら、東武日光でした(笑)
東武日光駅で14時を回ってしまっていた(-_-;)(-_-;)(-_-;)
結構ディレイしているなと焦りを覚える自分。
水分も減ってきたので、いろは坂に入る前にコンビニで水を補給しなければなりません。
しかも、飯食ってなかったし。。。
途中、神橋を通り過ぎます。
この橋、渡れるようになったのね。
でも、金取るらしい。
維持メンテがかかるから仕方ないのでしょう。
ここまでくると、川の流れも澄み切っていて清涼感が溢れる☆
超気持ちイイっすね。
コンビニでかなり長い時間休憩を取り、再度出発。
坂があったり無かったりでかなりキツくなり、とうとう歩き始めます(笑)
歩いてはチャリへ乗り、歩いてはチャリへ乗りを繰り返すこと数百回。
とうとう、いろは坂へ到着したのが、17時頃。
いろは坂の手前にある馬坂というトイレ休憩所で、おばちゃんおじちゃんが声を掛けていてくれて、
「え~!これからいろは坂登るの?宇都宮から来たというのに大変ねえ!!」
と、少々雑談をしてしまった。
こういう会話が、楽しいのよ。
清涼の空気の中で、ベンチに腰掛けてタバコをスパっと吸うのが、超最高っす。
水飲んで体制を整えて、いろは坂へ。
いろは坂へ入る手前は、長い坂があったので
「なんだよ、大したことねえな、アハハハハ」
と余裕をかましていたのですが、当たり前です、下り坂なのですから(苦笑)
そこから一気に上り坂が始まります。
「い・ろ」のあたりで、すでに息がゼイゼイし、チャリを降りて手押し車と化したビアンキ。
ダラダラ歩いて、たまにチャリ乗ってまた降りての繰り返し。
時間が17時半頃になってしまい、薄暗くなってきました。
シーンと静まり返ったいろは坂。
思わずピースして自己アピール☆
紅葉の季節が訪れる来月には、こんなことはできないだろうな。。。
ピースしている頃は、すでに破れかぶれで不貞腐れており、予定では15時インだったホテルも、きっと20時頃になると覚悟決めてました(笑)
そして、「い・ろ・は・に・ほ」あたりでへばっていた時、突然軽トラが私の少し先で止まり、バックしてくるじゃないですか!!
運転席のお爺さんが、
「兄ちゃん!乗ってくか?自転車荷台に乗せてみな?」
「え!マジっすか!あざっす!!」
遠慮などせず、速攻お言葉に甘えてしまうヘタレチャリダー小江戸川越雅な男。
詳細な場所は覚えてないけれど、早々にヘタって軽トラのじっちゃんに肖りました(-_-;)
なので、軽トラに乗ってからはじっちゃんと会話していたので、写真も何もありません。
明智平を通ったとき、ガスっていて景色が悪かったのは記憶しています。
じっちゃん曰く、
「あのまんま歩いていたら、2時間はホテルまでかかるからなぁ。先日も、一人自転車乗っている人を乗せてやったんだよ、まったく、大したもんだ若いモンは(^^)」
決して私は若くないのですが、見た目若く見えたのでしょう。
しかし、車というのは最高の文明の機器です。
瞬く間にいろは坂登り切ってホテルまで行ってしまうのですから(笑)
いろは坂でこのような体たらく、、、明日の金精峠超えはどうなることやらです。
ようやっとの思いでホテルへ到着し、チェックイン。
今回、旅費は1万円以内で抑えているため、アゴダで見つけたドミトリーに宿泊。
1泊2,900円弱です。
安い!
いざホテルに着くと、見た目数万円のホテルらしき印象。
ドミトリーへ入ると、オーストラリアでは考えられないほど(過去、豪国に住んでいた為)綺麗な部屋じゃないですか!!
こんな清潔で木の香りが漂うドミトリーなど、初めてでした。
荷物をといた後、お風呂は宿泊者共通だったので、これまた超綺麗な温泉で疲れが癒されました(^^♪
致せりつくせりで最高です。
夜は何も食べてなく、かといってどこもお店がやってないので、20時に閉まる商店がありギリギリ間に合ったので、そこで缶詰とゆで卵と酒を買って、中禅寺湖の湖畔で晩飯。
真っ暗でよく分からないので、チャリのライトで照らしながら一人飯。
そういえば、虫が寄ってこなかったな。
このさなの蒲焼美味かったな(^^)
卵三つ食べちゃったし。。。
明日から金精峠超えです。
たった56キロの距離が、坂道を舐めてかかったせいで異常なほど時間を要してしまいました(-_-;)
良い教訓です( ;∀;)
Kawagoe Expl Vol.04 晩秋の夕暮
半世紀弱もの間、川越に住んでいても知らない場所はたくさんあります。
110㎢の広さに、人口355千人。
地名やランドマークの呼び方でさえ、世代が違えば異なります。
時の鐘という呼び方、私の世代では鐘撞堂と呼びますし、
今はクレアモールという一元化された名称も、私の世代ではサンロードと新富町、両親の世代は西町通りと新田町。
大正ロマン通りも、私の世代以前は銀座通り。
祖父の世代では、現在の川越駅は川越西町駅。
西武鉄道(当時は川越鉄道)が、国鉄によって川越駅という名称を奪われた?ので、意地でも駅名に「本」を付けたところに民間企業なりの抵抗を感じます(笑)
さて、たまたま昨年の秋、10年くらい前に見つけた川越のとある場所へ訪れてみました。
知っている人ならば知っている場所なのかもしれません。
市街地からは、結構遠い。
11月半ばの晩秋だったでしょうか。
ふと何の前触れもなく直感的に、
「あの場所へ行ってみっかな」
というノリで訪れた入間川の土手。
夕暮の時間だったのですが、そこへ訪れて市街地を望んだ瞬間、息を飲むような光景が目の前に広がっていたのです。
ススキから舞う吹雪のようなチリが、レンブラントの絵画のようなオレンジ色の夕陽を帯びてキラキラと輝き、川から静かに吹き寄せる風に揺られてゆっくりと空へ舞ってゆく光景に胸を打たれ、茫然と立ち竦んだものです。
私は写真の腕はないので綺麗に撮れてませんが、実際にこの光景を目の前にすると、言葉を一瞬飲んでしまうほどでした。
あれから一年経とうとしています。
再来月の半ばには、またこの光景が見られるのかと思うと、ちょっとばかり、嬉しくもあるのです。