小江戸川越雅な男のお遊び

小江戸川越育ちのオッサンによる、仕事を忘れる大人の遊びを書き綴ってます。

Kawagoe Expl Vol.06 ~川越夜戦~

川越の名所と言えば、本丸御殿や喜多院氷川神社が挙げられますが、実は川越夜戦も隠れた名所・・・というか、歴史的な出来事です。

 

日本には、三大奇襲というのがあります。

 

なんでも「三大」や「五大」などと付けたがるこの国の文化ですが。。。

 

【三大奇襲】

桶狭間の戦い

言わずと知れた、織田信長4,000の兵と今川義元25,000の兵との戦いで、織田の奇襲により今川が討死した戦です。

 

厳島の戦い

毛利元就4,000の兵と陶晴賢20,000の兵との戦いで、圧倒的不利な毛利元就陶晴賢に勝った戦いです。

 

■川越夜戦

北条氏康8,000の兵と扇谷上杉+山内上杉+古賀公方の連合軍80,000の兵との戦です。

 

 

今回は、この川越夜戦の舞台となったところを訪れてみました。

 

川越に住みながらも河越夜戦については、あまり知ることが無く、モヤッとした知識でした。

 

松本清張の小説「黒い空」では、序章から、この川越夜戦の舞台である東明寺から物語がはじまり、この夜戦で連合軍を組んでいた扇谷上杉と山内上杉の怨念が、物語の核となっています。

 

もともと関東は上杉管領(将軍の補佐役。当時は足利将軍)が収めてましたが、北条氏康河越城を獲得し、それに対して扇谷上杉ら80,000の連合軍が攻め入り、北条側は籠城。

 

駆けつけた北条氏康の半年にわたる策により、80,000の連合軍が負けることになります。

 

扇谷上杉は討死し、滅亡。

 

山内上杉は越後の長尾家に逃げ、後に上杉謙信になる長尾景虎に、家督管領職を譲ります。

 

古賀公方(足利将軍)は、散々の目にあい古河へ退却。

 

 

河越夜戦では、18,000名が戦士したと言われています。

 

その舞台となったのが、東明寺というお寺付近です。

 

現在の東明寺は、河越の観光地外れにひっそりと佇んでおり、休日に訪れても観光客はほとんど来ません。

 

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東明寺

川越の喜多町に東明寺はあり、喜多町自体が昔は東明寺の寺領であったようです。

 

また、門前町として栄えていたと言われています。

 

川越は、江戸時代より喜多院が徳川にかなり保護されていたのに対し、東明寺は往年の面影はないようです。

 

そこには、河越夜戦の石碑が立っておりました。

 

本当に静かなお寺で、雀の囀りだけが境内に聴こえるだけの、シンと静まり返ったお寺です。

 

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河越夜戦石碑

石碑の裏には、河越夜戦の出来事が克明に書かれております。

 

蔵造が有名な川越ではありますが、実はこういった隠れた血生臭い歴史の跡も、街を包み彩る美しさであるのかもしれません。