Kawagoe Expl Vol.03 不老川の綺麗さを再確認してみた
昨日訪れた不老川。
訪れたというよりも、偶然通りかかったという表現が適切です。
「川越に、こんな綺麗な清流があるんだなぁ…なんという川だろう?」
そう思いググってみたら、不老川だったのですから。
昭和50年代後半、中央小の悪戯小僧であった私含め数人は、川口探検隊と称して新河岸川には入ることがあっても、不老川には入りませんでしたから。
だって、1980年代に3年連続で日本で一番汚染され汚い川でしたので、入るはずがありません。
不老川に行くという想像すらしませんでした。
当時は、川沿いの住宅では窓も開けられなかったそうです。
ヘドロと泡泡の河川であった不老川。
それが、、、澄み切った清流となっていたのですから。
昨日見た不老川がどうしても信じられなくて、再び本日見てきてしまいました。
錯覚かもしれませんでしたので。
実際に訪れて不老川を眺めてみると、、、
間違いなく、綺麗でした。
川沿いには瀟洒な小道があり、この時期は彼岸華が咲き乱れていました。
地域の方々が咲かせているのかもしれません。
この不老川、たまに水が無くなるのですよね
意図的にそうしているのかと思っていたけれど、どうやら昔からそのようです。
私はつい最近まで、あまりに汚いので天日干しにして川底を殺菌しているのかと思ってました。
ここまで蘇った不老川ですので、今後私の子供の世代も、今の美しさを維持してほしいと思う次第です。
Kawagoe Expl Vol.02 川越の中学校を全部周ってみたところ…
チャリで熱海へ行く予定でした。
けれども、激しい雨後なので「地盤が緩んでいて危ない」という声が身内友人から多々アドバイスいただき、、、諦めました。
熱海は逃げませんからね。
しかし、久々に天気の良い休日。
以前から考えていた、川越の全中学校を巡ってやろうという想いを具現化しようと思いました。
前回、途中雨に降られて中止しましたからね(^^;
私は学校マニアではありません。
なぜ、川越の全中学校を巡ってみようと思った理由は、川越といえど非常に広く、各々の地区で新たな発見があるかもしれないというのが理由です。
そして予想通り、多くの発見がありました。
当初の予定では一日で一筆書きのごとく巡ってみようと思ったのですが、途中飽きてしまったので、次回持越し分があります。
今日のルートは以下の通りです。
利用しているアプリが英語表記なので、いまいち分かりづらいので、ナビタイム自転車でルーティングしてみました。
私は富士見出身なので、まずは富士見からスタート。
中心部にある学校は見慣れているのですが、ちょっと脇道に入ってみると、意外に知らない光景にめぐり逢えます。
もともと幼少の頃より想像癖が強かった私は、今でもそれを引きずっている部分があり、このように思うのです。
「私の学校が一クラス40人で6クラスあったのだから、単純計算で市内で22学校あるので40×6×22で約5,300人の同じ学年の生徒がいたはずだ。
富士見はクラス数が少ない方かもしれないので、もっとたくさんいたかもしれない。
自分と同じように学生生活を送り、日常生活が存在していた。
そんな彼らは、いったい今何をしているのだろうか???」
という、至極単純な想像と好奇心と重なり、頭の中のイメージだけではなく、より体感し易く視覚化してみよっかな的な発想です。
また、その地区にはどのような家々があり、人々が生活し、道があり、自分の知らない同じ市内の空間を感じてみたいという願望も強かったと思います。
「絶対に新しい発見があるはず!」
その想いに駆られ、私はペダルを本川越東口(栄えている方)からこぎはじめました。
富士見→野田→初雁→第一→城南の間は新鮮な発見はありませんでしたが、城南の周りをグルっと走ると、
「なんだこの坂は!!」
と思えるほどの坂道を発見。
私の日常生活エリアでは、東田町から野田に行くときに下り坂がある程度。
きっと、城南中に通う生徒の一部は、この坂道が結構大変なのかもしれません。
そして砂中へ向かうと、川越線に見たこともないトンネルを発見!
高さは約1mくらいでしょうか。
いくら日本人が背が低いといっても、これは低すぎる!!
江戸時代の日本人んでさえ、このトンネルは天井が低すぎると感じることでしょう。
そもそも、私の生活エリアでは電車は踏切かガードなので、コンクリで固まったトンネル自体が非日常です。
私は背が183cmあるので、相当躰をかがめないとこのトンネルはくぐれません。
これと似たトンネルが、砂中へ行く途中にもありました。
そして、砂中から方向を南に変え、福原地区へ向かったところ、ナビより自分の直感を信じてしまい、ルートからずれてしまうことに。
適当にプラプラ走っていると、あまりにも澄んでいる川を発見!
「川越に、こんな綺麗な川なんてあったのか!!」
スマホでググってみたところ、なんとこの川は不老川じゃないですか。
不老川といったら、私が小学校の頃、担任の先生が、
「不老川は日本で汚い川ワースト1だ」
と言ったのを今でも鮮明に覚えています。
なぜならば、ワーストという単語を知ったのが、そのときでしたので(笑)
80年代、3年間の間も不老川は『日本一汚い川』という不名誉な称号を貰っています。
あのクラスの授業以来、私の中で不老川=日本一汚いという印象ができあがっていたので、これは驚きでした。
帰宅後に調べてみたところ、毎日新聞の元記者が不老川をきれい化することに立ち上がり、奮闘しながら現在の綺麗な川にしたのを知り、これはプロジェクトX化できるほどの素晴らしさだと痛感した次第です。
あまりの綺麗な川の流れに、同じ小学校のときの同級生に写真を撮ってラインしたほどです。
不老川の変化が、今日、最初の新しい発見でした。
その後、福原から高階に向かう途中、今まで知らなかった森の公園を発見!
とても素敵な森の散歩道であり、川越の公園といったら水上公園と安比奈公園くらいしか知らない私には、驚きでした。
実際に森の散歩道へ入ってみると、地図で見るよりも広く感じます。
森の散歩道を後にし、どんどん先へ進んでゆくと、寺尾エリアに遊水地を発見!
ナビを見ていたら、
「なんだ、川が入り乱れているこのエリアは???」
と不思議に思っていたのですが、行ってみてびっくり。
先日の宇都宮ライドで訪れた渡良瀬遊水地には及びませんが、しっかりとした湿地帯らしきものが広がっていました。
この遊水地の周りには歩道があり、散策ができます。
今まで約50年弱、このような場所が川越にあるとは全く知らず、大げさではなく青天の霹靂。
税金払ってるのに、このような良い場所を知らずに過ごしてきた私は、非常に損をした気分に苛まれました。
かなり広い遊水地です。
感覚的に言うと、初雁公園が全部入ってしまうほど。
いや、初雁公園の数倍あるかもしれません。
私は川越に長らく住みながら、知らないエリアがたくさんありました。
不老川があまりに綺麗であったこと。
森の散歩道
寺尾遊水地
今回のチャリダーでの大きな発見は、上記の3つでした。
今日は芳野エリアで飽きてしまい、次回持越しになってしまったけれど、エリア的に川越西半分が残されているので、新たな発見がまたあるのかと思うとワクワクしてしまうのです。
川越の小中学校と、その学校に居た感覚
川越人の共通点として挙げられるのが、もし飲み屋などで川越の人と出会ったら、必ず一言めに口にするフレーズがあります。
「何中?」
というフレーズ(笑)
年代によって、自分の在籍していた中学で、出会った人たちとの力学が発生します(^^;
まあ、その力学とは何かはおいておきましょう。
さて、川越には小学校が33校、中学校が22校あります。
私は中央小だったので、その名の通り、街のど真ん中にあり、比較的商人が多くそれ以外はサラリーマン家庭が占めています。
当然、川越と言えど中央小は中心部にあるので、付近の小学校は「田舎」という天狗な部分もあったり無かったり。
在校時は全く意識しておりませんでしたが、中学にあがり他所の小学校出身の友達曰く、「そんなことだと中央小の奴らに置いてかれるぞ!」と言われることもあったようです。
”ほんとかよ?”と今でも思うのですがね(^^;
40歳も過ぎ、改めてウィキペディアなどで川越の小学校を調べてみると、学校数は小学校のときからの記憶でほぼほぼ合ってました。
しかし、実際に見たことがある小学校と無い小学校があったりします。
中央小なので、私の感覚では「川越小」「第一小」(実は、この二校は小さな道を挟んで向き合っており、士農工商的な理由から別々になったという謂われがあります)「月越小」「仙波小」「泉小」などはすぐ分かりますが、「広谷小」「西小」などは、知りませんでした。名前は聞いたことがあるくらい。。。
先日、初めて広谷小や芳野小をこの目で見たときは、感動したものです。
1980年代、相当数の児童がいたわけですから、なぜか川越に住んでいながら、これらの学校出身者と出会ったことがありません。
いったい、どんな学校生活を送っていたのか、興味深いものがあります。
私のいた中央小では、キン肉マンが流行ればキン消しを学校に持ってきて交換したり、新富町のデパートやスーパー(当時だとニチイや長崎屋、西友ですね)に置いてあったガチャガチャが、なぜか壊れていて100円入れたら無限に出し放題という現象のもと、かなりレアなキャラを持っていたのを覚えています。
それを、塾で知り合った他の小学校の生徒に自慢したり(^^;
ビックリマンチョコのマジャリンコで、同級生が応募したら採用されてシールになってしまったり。。。
ファミコンはクラスの男子20人のうち18人が持っていて、持っていない2人のうち1人はセガだったり。。。
遊び場所は、行ってはいけないと言われていた新富町やサンロードのゲーセン、丸広でドロケイ、丸広の駐車場を勝手に自分たちの球場化してソフトボールをするなど、好き勝手なことばかりしていました。
入間川などや新河岸川などへ遠征すると、そういう時に限ってクラスメートの女子に見られてしまい、「学区外を自転車乗ってました」と翌日の朝の会でチクられて先生に怒られる羽目になります。
外で遊べと言われても、外で遊べば怒られるのです。
学校の校庭で野球したくとも上級生が使っていれば、丸広の駐車場(水曜日限定でしたが)でするしかなく、それも怒られる訳ですから、ファミコンするしかないのです。
泉小や今成小の友達などに話を聞いてみると、皆々学校帰りに畦道を歩いて遊んだりしていたようです。
私など、通学路にあったモスバーガーや31のアイスクリームで買い食いしたりでしたが。。。。
余談ですが、川越市の小学校は戦後すぐと私たちの時代80年代では名称が異なっているのがありました。
川越小→第二小
中央小→第三小(クラス名は現在でも松竹梅)
仙波小→第四小
泉小→第五小
だったかな?
前述した、川越小と第一小が小さな道を挟んで向かい合っているのは、実は昔、藩校として開校したのと川越商人が開校したのと由来が異なり、まあ、明治維新の頃、士農工商という立場柄、色々とあったのでしょう(苦笑)
先日、子供の陸上競技大会を観に行ったのですが、驚いたことがありました。
私の在籍していた中央小はクラス名が松竹梅だったのですが、川越では唯一クラス名がナンバリングではないと思っていたものの、芳野小がなんと、東西南北名なのですね!!
あれには驚いた。
さて、中学にあがると、私の在籍していた富士見中には中央小、月越小、泉小及び今成小の生徒が合体します。
遊び場はもちろん、新富町がサンロード。
今でいうクレアモールです(川越人として、クレアモールとは意地でも言わない(^^;)
ウィキペディアで調べてみると、やはり最近になって初めて知った中学名がありました。
川越市立川越西中と川越東中。
特に、東中などは1960年代に開校されているようです。
全く知らなかった(^^;(^^;(^^;
川越市の成り立ちとして、周辺の町村を吸収合併して大きくなってきているので、そられの地区名がそのまま中学校の名称になっている場合が多いのです。
大東村の大東中、芳野村の芳野中、高階村の高階中などなど。。
このブログを書いていて、ふと思い立ちました。
川越の小中学校全部を写真撮って解説付きにしてみようと(笑)
それはそれで面白い、写真付きアーカイブになるかもしれません。
【総括】
川越なんて、なにも蔵造の城下町エリアだけじゃないんです。
日々の人々が生活している、、、いわゆる明治維新後や戦後に移り住んできた人々も、この街の成り立ちに大きく関わっています。
私だって、戦前から祖父が川越に縁はありましたが、今住んでいる土地を買ったのは戦中だか戦後間もなくの頃であり、たかだか100年程度の歴史しかありません。
川越には、数百年も住んでいる方達が、城下町故にいらっしゃいます。
たかだか100年弱の在住歴でさえ、川越人としての想いがあるのですから、数百年住んでいる人であれば、尚更でしょう。
それは川越でなくとも、他の市町村であっても同じかと思います、、、と思っていたのですが、狭山に住んでいる私の従兄弟に聞いてみたら、、
「それねえ、川越だけだよ。狭山育ちって、故郷愛とか、無いんじゃないかな。俺の周りとか、狭山に固執している奴いないし、みんな狭山出ちゃってるし。。。実際、俺も狭山に家があるから住んでいるけれど、兄貴なんてとっくに狭山捨てて小平に住んでるし、、そんなもんだよ。だから、ある意味羨ましいよ、川越で。求心力があるから、みんな戻ってくるじゃない?高校の同級生で川越出身の奴も、やはり川越でつるんでいるしね」
だ、そうです。
私の生まれた都内某所の幼馴染にも聞いてみると、
「ないねえ~、だって、田舎から上京してきている連中ばかりが増えて、もともとの住民減ってるしね。昔からいる俺達と、戦後に移り住んできた三代遡ったらイナカッペのお上りじゃ、やっぱ違うよ」
だ、そうです。
地域格差や世代格差というよりも、由来格差というのもあるのでしょう(笑)
そういった意味では、田舎なりに適度な大きさな街である川越は、文化文明だけでなく、求心力があるので良いのかな?と思います。
川越祭りで集まってきますからね、友達が(^_-)-☆
Kawagoe Expl Vol.01 ~ Akutsu District 01~
飛び地。
日本には飛び地が散見します。
(練馬生まれとしては、別に和光市になりゃいいじゃんと思うのだけれど)
実は川越にも飛び地があります。
幕末の頃にあった飛び地(常陸国や三河国等)ではなく、現代版の飛び地。
行ってみたくなるじゃないですか。
「まさか川越にも飛び地があるなんて…」
で、2ヶ月ほど前に、真夏のとある日、川越の飛び地を訪れてみました。
握津集落と呼ばれていたようです。
上の地図の赤枠が、現在、古谷上と言われている地区です。
かなり大きなエリアですね。
さいたま市と隣接しており、荒川を渡ればさいたま市なのですが、なぜか荒川より川向う(差別用語ではありません)にも川越があります。
青枠でくくったところが握津集落です。
より拡大してみると、、、、
何やら、まだ公民館があるようです。
ただ、ネット上では飛び地マニアがすでに訪れているらしく、すでにこの公民館も廃館になっているようだとか。。。
さっそく、私が訪れてみたものの、その時は車で訪れたのですが、私の車では車体が大きく、かなり無理があったので途中で引き返してしまい。。。。
捲土重来を期すため、近々訪れる予定です。
私の小学校時代の友人I君も誘い、二人でチャリで向かう予定。
同じく中学時代の友人Y君は、海外転勤で現在川越にいないため、私とI君の訪れた動画を送り、喜びを共有しようと考えています(^_-)-☆
因みに、小学校の同級生だるI君は、10歳の頃に川口探検隊と称して入間川沿いの用水路やトンネルへ入ってゆき、遊んでいた仲です。
Y君は中学時代の同級生で、学術的アプローチをするのが好きな奴であり、例えば川越の用水路を探索したく、市役所から用水路の地図を取り寄せて研究するという変わった一面があります。
さてさて、我が町川越の探索、奥深いものがありそうです。
通勤を面白くする
サラリーマンにとって、通勤は苦痛です。
特に朝。
1分でも多く寝ていたいサラリーマンにとって、朝の通勤時間は大切な睡眠時間です。
けれども、帰宅時の通勤は朝と異なり、幾分心が気楽ではないでしょうか。
そりゃ、もちろん仕事が終わったのだから気楽のはず。
とは言え、普段から通り慣れている通勤路は、「本を読むか」「スマホを見るか」「動画を観るか」「寝るか」のいずれかしかありません。
そんな通勤路を、少し楽しめるアプリを見つけました。
これはサイクリングで利用するアプリなのですが、先日色々と触ってみたら、「公共機関利用」という項目があり(サイクリング等、スポーツの項目にしてしまうとアクティビティとしてカウントされてしまうので避けたかった)、さっそく実践。
まずは、職場のある浜松町から模範的ルートで今回は帰宅。
(浜松町駅→(JR山手線)→池袋駅→(東武東上線)→川越市駅
自分の普段の通勤路を客観的に観てみると面白い。
このアプリには、要所要所に写真や動画が挿入できるので、尚更面白くなります
(今回は単にルートだけの記載)
浜松町から川越までのルートは多種多様あり、
- 浜松町から山手線内回りのルートで池袋経由のルート
- 浜松町から山手線外回りのルートで池袋経由のルート
- 浜松町JRで大宮経由で川越までのルート
- 浜松町からJRで大崎から埼京線ルート
- 浜松町からJRで東京駅・新宿駅・池袋経由のルート
他にもたくさんあって、もう数え切れません(笑)
思い付く限りのルートで、帰宅してみようかと思います。
そうすれば、多少は帰宅の通勤路も飽きないことでしょう。
Jogging ~ Along KOAZE River ~
ジョギング。
正直、したくない運動です。
でも、します。
何故って、不健康な躰を引き締めるため。
大概、半年走って10キロ落ちます。
2ヶ月目くらいが一番辛いですね、、何しろ走っても体重が落ちず結果が見えないのだから(-_-;)(-_-;)(-_-;)
ジョギングすると、慣れてくると癖になるんですよね。
とくに、サラリーマンを忘れられることも多々あります。
糞ムカつく会社の出来事など、鬱憤晴らしが可能(^_-)-☆
ジョギングは川越水上公園が有名ですが、当初私もそこでジョギングしていたのですが、やはりマンネリ化してしまうのです。
そんなとき、ふと見つけた小畔川沿いのジョギング。
このルート(赤い線)を走っていたら、車がようやく一台渡ることができそうな、可愛らしい小さな橋を見つけました。
こういう発見も、何気に嬉しく楽しいもんなんですよね~。
私は、さっそく中国に転勤している友人にこのことを連絡。
すぐさま返信があり、
「そんなとこに、そんなのがあったなんて、まるで気付かなかったぜ今まで!!」
嬉しさを友人と共感するのは、嬉しさ倍増します(^_-)-☆
彼とは、昨年晩夏に新河岸川源流突き止めようぜ計画を立て、実践してきた仲です。
この小畔川ジョギングルートの風景も情緒があります。
名細のピコアからR254へ往復で5キロ程度。
程よい距離です。
ここを皮切りに私は川越で色々なジョギングやデュアスロンルートを見つけることになります。
(もともとあった道を私が勝手にルート化しただけだけれど。。。)
平凡サラリーマンの本当の息抜きを考えてみた
まあ、とにかくサラリーマンというのは、給料が安かれ高かれ、地位が低かれ高かれストレスは溜まるし、所詮歯車です。
メディアではビジネスマンやらビジネスパーソンやらと表現してますが、所詮あきんど(商人)。
横文字にすればサラリーマンがカッコよく映るのか文章の見栄えがよくなるのか分かりませんが、やっていることは程度の差こそあれ、ほぼ同じです。
いわゆる、8時間内に、与えられた仕事(または率先して取組む仕事)を、自分の持つパフォーマンスを最大限発揮し、職務を遂行してゆくこと。
とはいえ、実態としては私のように、
「とりあえず会社へ顔を出して仕事をしているフリをし、8時間過ぎるのを待つ」
という輩も多々います(笑)
だって、一度雇われてしまえば、よほど馬鹿しないかぎりクビにならないもん。
サラリーマンのいいところは、雨が降ろうが雪が降ろうが、とりあえず会社へ顔を出していれば給料はくれるということです。
最近テレワークが増えたので、さらに条件が甘くなってきたのかもしれません。
まあ、会社の悪口や日本の社会の悪口を言ったらキリがないのでこの辺で割愛。
要は、サラリーマンという職種上、
「休みの日をどう過ごせば、サラリーマンを忘れさせてくれるか!!」
というのが、30代前半からの最大の私のテーゼでした。
休暇を取り旅行へ行くというのもありですが、所詮年に1回か2回。
趣味を持つのも一つの手ですが、私自身ピアノを幼少から弾いており最高の趣味なのですが、休みの日にピアノの練習をすると逆にストレス溜まります(笑)
もっと身近に、毎週または頻繁にできて、サラリーマンを忘れさせてくれるもの。
それが、ようやく最近気付いたチャリダーというスポーツでした。
もちろん、他にも好きなことはあります。
私は海が好きなのでダイビングもしますし。
ただ、ダイビングは金が掛かるのです。
2ダイブ7,500円、但しボートダイブは別途船代であったり、ビーチエントリーはしんどかったり。。。
伊豆でもダイビングはできますが、聞けばサンゴは握りこぶし程度しかないというじゃないですか。
まあ、ダイビングはサンゴだけではないのですが、オーストラリアでダイバーになった私にとって、魅力は感じません。
何よりも、伊豆まで行くのがかったるい。。。
かと言って、沖縄も行くのは大変ですし、ダイビングした日に飛行機は乗れないので、日帰りは無理。
けれども、マリンスポーツを10年以上に渡って実践してきた私ですが、もっと気軽に身近に安価でサクっとできる趣を探していたのです。
チャリダーがその一つですが、実は他にもいくつか見つけました。
そう、誰も考えない思いつかない、、、けれども考えてみれば「ああ、なるほどね、そんなことできるね」という身近な遊び。
季節的に春から秋にかけて取り組む形になるけれど、ものによっては春から初夏だと避けた方がよいものもあったり。
人により取り組むものは様々ですし、登山が好きな方もいればクライミングが好きな方もいる。
トレイルランが好きな方もいれば車やバイクでツーリングが好きな方もいます。
私の場合、「旅」「風」「香り」「光」この4つを求めていたので、一番身近にあったクロスバイクというチャリにたどり着いたわけです。
もっと早く気付けば良かったなと少々後悔しています(-_-;)(-_-;)(-_-;)
チャリで旅をすると、帰りはチャリで元の場所へ戻ってくるか、交通手段、、主に鉄道か高速バスを利用して帰ってくることになります。
私は旅情が好きなので、帰りは主に鉄道を利用しますが、車窓から映る風景も帰りに堪能できるので、一石二鳥。
比較的近距離にあたり100キロ圏ですと、普通車でもグリーン車に乗ってしまい、ウトウトしながら帰ってくるのが実は楽しかったりします。
完全にサラリーマンを忘れさせてくれるかと言うと、そうではないのも事実だけれど、少なくとも普段自分を囲んでいる「社会」「会社」「家庭」から解放され、自分だけの時間となります。
今まで、自分の時間などは風呂に入るときか便所に入るときしかないと思っていたけれど、ようやく私には風呂と便所以外に自分が主役になれる時間を見つけられました。
まずはチャリダーで取り組み、これから徐々に趣を増やしてゆこうかと思います。
因みに、私には以下の趣があります。
かなり多い方かもしれません。
【個性的な趣?】
・ピアノ
・旅
・祭り囃子
・ダイビング
【一般的な趣】
・音楽
・映画
・読書
・喫茶店でボーっとすること
これだけ趣があっても、サラリーマンという日常を忘れることができなかったのです。
サラリーマンであることを1分でも多く忘れることができることって、中々無いものです。